考えてる事

私がこのブログを書き始めた1つの理由に頭の中を整理したいというのがある。

私は日がな一日中考え事をしている。

通勤時間や、食事中や、風呂に入ってるとき、仕事中も人と喋ってるときもほとんど考え事をしている。

人間なので、常に何かを考えてるのは普通なんだろうか。

他人の頭を覗けないので、わかりようがないけど…。

とにかく、私はこの考え事にとても困っている。

考え事をしてるせいで、常に注意散漫気味だからだ。

仕事の間の考え事は特に困る。

全く仕事に関係ないことを考えてる上、考え事に熱中しすぎて、完全に仕事の手を止めてる事もあるからだ。

仕事中に私がよく考えるのは、結婚式の新郎新婦の挨拶と、親の葬式での弔辞の文だ。

断っておくと、私に結婚の予定は無いし、親もピンピンしている。

そして何より親の死はもちろん結婚も特に私の望むことではない。

しかし、それでも、私は仕事中もっぱら結婚式の挨拶と弔辞について考えてしまい、感極まってうっかり泣いてしまったりするほどそれに没頭している。

なぜこれほどまでにこの2つについて考えてしまうのか。

多分私は親に感謝の気持ちを伝えるタイミングが欲しくて、それに備えて文章を練ってるんだろう。

結婚式と葬式というかけ離れたシチュエーションではあるが、どちらも普段言えないこと/言えなかったことを言う機会であることが共通している。

私はとにかく、親に対して感謝の気持ちが言えない。

未だ実家暮らしで、毎日母の作った飯をいただいている。

母も働いているのに、私は料理を全くしない。

学生時代は手伝うように言われたこともあったが、何よりものぐさで、働くことが嫌いな私はほとんど手伝ったことがない。

料理でレシピを見ずに作れるのは目玉焼きぐらいだ。

母も昔は全員働いている家でなぜ自分だけが料理をしなければいけないのか、と家族に訴えかけることもあったが、父も私もそれに対して、じゃあ自分が、と手を挙げることは終ぞ無かった。

全くひどい家族だと思うし、今も母一人が料理をすることに罪悪感を感じてはいるが、それでも自分の楽な道を選んでしまっている。

母も諦めたように最近は文句も言わず毎日料理をしてくれる。

そして、そんな母に対して私は感謝の言葉が言えない。

いまさら恥ずかしいと思ってしまう。

情けない娘である。

せめてブログには感謝の気持ちを書き込もう。

私は基本的に自分の家族が好きだ。

前段では母の話ばかりだったが、家には父もいる。

父は昔は非常に厳しかった。

ご飯粒を残したり、行儀が悪いと怒られた。

普段は物静かだが、怒ると烈火のごとく本当に激しく怒り狂い、怒鳴ったり物を壊したり、たまにに叩かれたこともあった。

子供の頃は本当に怖くて怖くて仕方なかった。

しかし、そんな父は歳と共に、驚くほど丸くなった。

今はほぼ全くといっていいほど、怒ることはない。

年齢もあるのかもしれないが、父はたぶんある程度自覚的に変わったのだと思う。

人間が変わろうと思って変わるのはそう簡単ではない。

父は何十年も積み上げてきた自分をいい年齢になってから、再構築しなおしたのだ。

あるいは中年の危機というものが父にもあったのかもしれないし、どんなきっかけでどういう手順で父が変わったのか、私にはわからない。

でも、側からみて、父は本当に変わった。

それも周りの人たちにとって良い方へ。

そんな父を私は尊敬する。

父に対して母にするほど心を開いて話すことは無いが、今は恐怖心ではなく、親しみを持って、父と接することができる、それは一重に父の努力の賜物である。

一方、母は私にとって、最大の理解者だ。

どんな友達よりも、母に心を打ち明けてきた。

母は私の人生に最も影響を与えた人だ。

子供の頃は母の愛読書でもあった、赤いチェックの若草物語や、小公女や、ムーミンの文庫を読み聞かせてもらっていた。

そのおかげで、本が読めるようになった。

母が読んでいた萩尾望都吉田秋生佐々木倫子などの少女漫画や、ジョジョを読んで、漫画が大好きになった。

好きな映画や本や漫画は全てまず母と共有する。

母の好きな物を摂取して育ったため、母と最も趣味が合うのは当たり前なのかもしれないが、身近に理解者がいるというのは本当に嬉しいものだ。

父母共に、映画や、絵画、クラシック音楽、自然が好きで、休日は山や、公園や、美術館、博物館、映画館、演奏会、バレエ、オペラと、沢山連れて行ってくれた。

決して収入の高い家ではないのだが、それでも沢山よいものを見せようと努力してくれた。

本当にありがたく思っている。

私はかけてもらった手間や見せてもらった美しいものたちに相反して、全く大した人間にはならなかったが、人生を生きる間に沢山の喜びを得ることができる人間に育ててもらった。

具体的には陽だまりや、木漏れ日のさす山の小道や、人の気配のする窓がつらなる住宅街をみることで、1枚の絵や、1曲の音楽、1文の詩やセリフで、心の底から湧き上がるような充足感を得られる人間に育ててもらった。

このことは本当になによりも私にとっての財産だと思う。

そしてこれは、父母の手ほどきがなければ、私の元に訪れなかったかもしれない感覚だと思うのだ。

たぶん人間にはある程度、こうしたものを楽しむ能力の大元が大体備わっているものなんだと思う。

自然や、読書や芸術に癒しを求める人は沢山いるからだ。

しかし、こうしたものを楽しむことを知らずに育つ人は多い。

読書は本当に幼少期からの習慣がないと中々楽しめないものなんだなと高校生の頃周りを見て気づいたし、1人で山道をハイキングに行ったりする人はやっぱり同世代にはあまりいなかったし、好きな映画監督や、芸術家を話し合う機会なんてほとんどなかった。

それは、私の交友関係が極端に狭いせいでもあるが…。

とにかく、もし、私がこれらを楽しむことができなかったら、きっと今よりもっと孤独で辛い人生だっただろう。

本当に両親には感謝している。そして、2人を尊敬している。

こうしたこっぱずかしいロマンチックな話は絶対面と向かって人には言えない。

面と向わなくて済むブログだからこそ書けるというものだ。

しかしそれでも、私を育ててくれた芸術と自然を愛する父母に、弔辞ではなく、面と向かって感謝する日を一刻も早く迎えなくてはならない。

考えは言葉にして伝えなくては、何も考えてないのと一緒になってしまう。

そして言葉にすることによって、人は初めて自分が考えていることを知るのだ。 どれだけ、頭の中で文章を練っても、文字にして、口にして初めて自分の元に反響してくる。 この作業がなければ、人は本当に自分が考えていることを把握することはできない。 人にとって、考えることを把握すること=話すこと/書くことであり、たぶん沢山の人が、自分の中で考えてから話したり、書いたりしてると思っているが、実は話したり、書いたりすることによって初めて自分が考えていることが分かるのだ。 実際に私は大学時代のゼミで、自分の意見や、考えを聞かれたとき、まだ結論が見えない状態で、なんとなく話してるうちに自分の考えがまとまり、結論に行き着くということが何度もあった。 小論文を書くときもそうだった。 書きながら自分の文章を何度も読み返すうちにふと、そういうことだったのか!と気がつく。 話す/書くことによって、時には、全く自分の思いもしなかったような結論に辿りつけたりもする。 自分の内にあるものを外に取り出して、客観的に聞く/見る行為は、自分の中にある内には気付かないような細部の引っ掛かりに気づきその一点一点を整理し、つながりを見つけて点を線で結び、今まで見えなかった事象を浮かび上がらせることを可能にする。 つまり、私がこのブログでやりたいのは、普段、バラバラに浮かんでは消える脳内の考えの種つまり引っ掛かりのようなものを、文章にすることで、まとめてこねて、焼き上げて形あるもの、つまり考えであり、私の人生の結果得たものである、自分なりの結論と言えるものにまで、昇華させることである。 これが冒頭で書いた頭の中を整理することの概要である。